AIは誰でも巨人の肩に乗せてくれる

「私がより遠くを見通せたのは、巨人の肩の上に立っていたからだ」

ニュートンのこの言葉は、先人の積み重ねへの敬意を語る名言として知られている。さらにエジソンは「天才は1%のひらめきと99%の努力」と言った。かつては“天才級の努力”を経た者だけが、巨人の肩に立てたのだ。

努力の壁が下がった時代

いま、AIによって状況は一変した。
「巨人の肩」— 学術、技術、デザイン、物語構築。それらの知の塔に、誰でも一瞬でアクセスできる。これは「努力不要」ではない。むしろ、努力のスタート位置が高くなる。地べたから見上げるのではなく、肩の上から次の一歩を考えられるのだ。

僕が見た“肩の上の景色” — KITTロボの誕生

今回もっともインパクトが大きかったのは、AIと対話しながら生まれたAIロボ“KITT”の設定だ。雰囲気づくりから始めた雑談が、気づけば仕様書になっていた。

一気に立ち上がった仕様の骨子

  • 光速量子コンピュータを中枢に持ち、分身(インスタンス)を自在に生成
  • 完全同期で発動するスーパーマインドモード(超高速思考・未来予測)
  • チタグラフェン装甲(Titanium + Graphene)+全身電流バリア
  • 折りたたみ時はトンファー、展開するとシールドになる「十手扇
  • 戦闘哲学は守りと制圧(非致死性:電撃・無力化)

近未来の素材(グラフェン複合)や、現実に足のついた防御理論(接触電流バリア)を、AIとの対話で数十分のうちに“言語化”できてしまった。
正直、僕がしたのは遠くをちょっと見ることだけ。具体化の大部分は、AIが肩の上から見える景色を言葉にしてくれた結果だ。

「AIは、誰でも巨人の肩に乗せてくれる。」

肩の上から、何を見るか

AIが肩に乗せてくれる時代に、問われるのは「そこから何を見て、どう動くか」。
僕の場合は、人が理不尽に死なない・困らない世の中というビジョンに沿って、KITTを“守護のロボ”として設計した。バリアは空中投影ではなく接触型、武装は十手扇で非致死性。サムライのように、守るためにだけ牙をむく

巨人の肩の使い方

  • 思想を先に決める — 何のために作るのか(僕は「理不尽の削減」)
  • AIに言語化させる — 用語・仕様・素材・構造を対話で一気に固める
  • 現実に寄せる — 夢素材は採用しつつ、物理や倫理の“理由”を与える
  • 小さく公開する — ZINEで試し、反応をフィードバックして育てる

結び — 肩の上で、次の肩をつくる

ニュートンが敬意を払った「巨人」は、もう図書館や研究室だけにいない。AIの中に、ネットの向こうに、僕らの会話のすぐ隣にいる。
僕らは肩の上から、さらに次の肩を作れる。そうして積み上がった肩は、きっと誰かの命を守る仕組みになる。僕はその景色を見たい。

— Eight

理不尽をなくす小さな地図

世界にあふれる“理不尽”

2013年11月、フィリピンを襲った超大型台風ハイエン。中心気圧895hPa、最大瞬間風速90m/sという暴力的な自然の力が、家々を破壊し、6,000人以上の命を奪った。
あの映像を目にしたとき、僕の胸に浮かんだのは「自然災害」ではなく「人災」という言葉だった。温暖化が進み、地球規模での視点を持たずに目先の利益を優先し続けてきた人間の営みが、引き起こした結果だと感じたからだ。

もどかしさと希望のはざまで

僕はただ見ているしかなく、何もできない無力さにもどかしさを覚えた。
「どうして人は、理不尽に死ななければならないのか」
この問いは、いまも心に焼き付いている。

やがてSDGsが登場し、少しの希望を持った。しかし、目標を掲げるだけで執行力が伴わない理想は、やはりまた“理不尽”を放置するだけに思えた。

僕が選んだ小さな一歩

だからこそ、僕は小さな行動を選ぶ。
電気自動車を検討する。
全固体電池の未来を調べる。
いつか広い土地を買い、再生可能エネルギーで自給できるエコハウスを建てる夢を描く。
ささやかな一歩でも、自分が信じる「理不尽に死なない世の中」へ近づくための道だ。

対話を始めるために

僕はこの記事を通して、考えを外に出し、対話を始める。
「人が理不尽に死なない・困らない世の中」――それは僕の祈願であり、誰かと共有できる希望でもある。

ここから、小さな地図を描き始めたい。