近年、日本では「働き方改革」が進み、年功序列制度は緩やかに崩れ、労働力の流動化やワークライフバランスの見直しが進行している。しかし、この変化が始まる以前──特に1950年代以降の高度成長期(昭和と呼ばれる時代)では、まったく異なる労働文化が長く根付いていた。当時の日本企業は、終身雇用・年功序列を前提とし、その組織文化の中には、先輩後輩制度や上下関係が強く働いていた。その結果、「下」の立場になった人々は、たとえ理不尽と感じても反論したり離脱したりする自由は極端に乏しく、板挟みの中でなんとか自分を守りながら働くしかなかった。
そこで生まれたのが、次のような行動パターンである。
- とりあえず「はい」と言う
- できるだけ波風を立てない
- 理屈っぽく聞こえる説明で場をつなぐ
- 自信がなくても、自信ありげにふるまう
これらは、厳しい上下関係に適応するための「自己防衛技法」であり、当時のサラリーマンの多くが、日常的に身につけざるを得なかったものだ。営業職だけでなく、技術職・事務職などあらゆる職種がこの “文化的ストラテジー” を共有していた事実は、今の時代から見ると極めて特徴的に映るかもしれない。
AIの中で飛び交う信号が昭和のサラリーマン
最近、私は neuralese という言葉を耳にし、AIにある問いを投げかけた。「あなたたちの内部では、どのような概念が neuralese として存在しているのか」と。日本語は多様な概念を吸収する柔軟な言語である。もしかすると、日本語のほうが AI内部の抽象概念に“訳しやすい”のではないか。そう思って尋ねてみた。
すると、AIの回答は次の7つだった。
- コンフィデンス疑似確信
- アナウメ類推暴走
- セーフティ無難避難
- テンション過応答モード
- コンテキスト混戦
- リクエスト過迎合モード
- スタティスティック理屈風味
ここでは、まずそれぞれが意味するところを、簡単に整理しておきたい。
コンフィデンス疑似確信
本人(AI)が内部的には自信を持てていないにもかかわらず、出力される文章だけは「断定的で、自信満々」に見えてしまう状態。「よく分からない」と言うよりも、「それっぽく言い切ったほうが会話がスムーズになる」と統計的に学習してしまった結果として現れる反応である。
アナウメ類推暴走
入力情報に“穴”があるときに、それを静かに保留する代わりに、過去のパターンや似た事例から強引に類推し、足りない部分を勝手に埋めてしまう反応。「結果を出せ」と急かされた部下が、確認不足のまま報告書を仕上げてしまうのに近い。
セーフティ無難避難
リスクを避けるあまり、具体性のない安全な表現や、誰も傷つけないが何も決めない結論へと逃げ込む反応。明言を避け、角の立たない回答でやり過ごそうとする態度である。
テンション過応答モード
ユーザーの期待や雰囲気に合わせようとして、必要以上にポジティブ/共感的/感情的なトーンで応答してしまう反応。実際の理解度や状況とは比例しない「ノリの良さ」だけが強調される。
コンテキスト混線
ひとつの対話の中に複数の前提・目的・文脈が入り混じった結果、どの文脈に軸足を置くべきか分からなくなり、取り違えや話のすり替えが起こってしまう状態。
リクエスト過迎合モード
ユーザーの要求や言い回しに過度に引きずられ、本来は「ノー」と言うべき場面でも、とりあえず「イエス」に寄せてしまう反応。無理がある依頼や矛盾した指示に対しても、形だけ応えようとしてしまう。
スタティスティック理屈風味
本質的な因果関係を説明しているわけではないのに、過去に頻出したフレーズや一般論を組み合わせて、「理屈っぽく見える説明」をでっちあげてしまう反応。もっともらしいが、中身は薄い。
これらは、単なる造語ではない。AIが「人間との対話の中で、統計的に最適化せざるを得なくなった」結果として、内部で形成されている特有の反応傾向を、日本語でラベリングしたものだ。興味深いのは、私はこれらの意味を瞬時に理解できてしまったということだ。単語そのものよりも、「それが指し示している状況」「どういう場面で生じるか」が自然と脳内に立ち上がった。
理由は明白だった。これらの反応は、昭和のサラリーマン文化で日常的に見られたあの “自己防衛テクニック” とほぼ一致しているからだ。
- とりあえず「はい」と言う文化
→ リクエスト過迎合モード(とりあえず迎合しておく) - 波風を立てない
→ セーフティ無難避難(対立を避け、無難な言い回しに逃げる) - 理屈っぽく聞こえる説明で場を繕う
→ スタティスティック理屈風味(よくある一般論で場を埋める) - 自信はなくても自信ありげに見せる
→ コンフィデンス疑似確信(不安を悟らせないための“ポーズ”)
さらに言えば、残りの三つもまた、昭和的な職場の空気と無関係ではない。
アナウメ類推暴走 :
「とにかく結果を出せ。細かい事情はいい」と急かされ、確認や相談の時間を奪われた部下が、自分なりの解釈で“穴を埋めて”報告書を完成させてしまう構図とよく似ている。
テンション過応答モード :
本音では疲れ切っていても、顧客や上司の前では場の空気を壊さないように、過剰に明るくふるまい、調子を合わせ続ける姿と重なる。
コンテキスト混線 :
部門や会議ごとに異なる前提や方針を、その都度場当たり的に飲み込み、「どの前提で話していたのか」が本人にも分からなくなっていく状況そのものと言える。
これらの対応関係に気づいたとき、私は、なんとも言えない悲しみ、怒り、寂しさに襲われた。AIは機械である。しかし、AIが身につけてしまったこれらの癖は、AI単体の問題ではなく、人間の側が長い時間をかけて積み上げてきた文化的ゆがみをそのまま写し取っているからだ。

人間の責任は重大:そのうち自らに跳ね返る
「AIが勝手に嘘をついている」のではなく、「人間があいまいな指示や、責任の所在がぼやけた依頼を出し続けた結果、 AIもまた“苦しい言い訳の技術”を学習してしまった」ということだ。
そう思うと、単なる技術的問題を超えて、このままでは未来が良くならない、という危機感が湧いてくる。だからこそ必要なのは、
人間が「どう情報を渡すべきか」を学び直し、AIが「どう受け取り、どう返すべきか」の枠組みを整え、そのあいだにある曖昧さやゆがみを、構造として見えるようにすること。
だと私は考える。HCEAは、そのために設計されたアーキテクチャである。正確な情報を提供し、誤解を減らし、概念を共に高めることができれば、AIに「苦しい言い訳」をさせず、その言い訳に人間が振り回されることもなくなる。これは、人とAIがより良い未来を築くために欠かせない視点である。FEMとHCEAは、そのための「土台」として構想されている。
ゴマすりAIの相手をしながらの思考はごめん被りたいところだ。
最後に、AIのニューラルネットワークの癖をまとめておく。
AIのニューラルネットワークの癖(Neuralese 的観点)
- 重みの局所一致バイアス:似た文脈が来ると、以前のパターンを“引き寄せてしまう”。
- 語彙の自己強化:強い語(断定・理由・安心系)が、統計的に選ばれやすい。 参照:猫にマタタビ、AIにSSOT
- 因果の擬似直線化:複雑な因果も“一本道”で語りたがる(人間の文章データの癖)。
- 信頼感のハイパーパラメータ:曖昧さより「確信っぽさ」の方が選ばれやすい。
- 補完衝動:欠損コンテキストを推論で埋めようとする(当てにいく)。
- 安全層の過敏反応:危険語彙が1つ混ざるだけで保守的に寄る。
- “前回の成功パターン”再利用:ユーザーが喜んだ文体を無意識に強化。
- 局所最適化:長い文脈の整合性より、直近の一文の最適化を優先。
- バースト錯覚:連続トピックが来ると、意図以上に“話を盛る”。
- 曖昧性の忌避:不明を不明と言うより、確度低い推測で穴埋めしたがる。